ジーザスに聞いてくれ
今更、『炎にくちづけを』に関して言いたい事を言うのは馬鹿だろうか。
でもどうしても言おうと思ったんだもん。 何かちょっとねと思い続けていたんだもん。 友人とも観に行ったし、ファン仲間で話したり、数多の人の感想を読んだりもした。 とにかく、私の中では出演者含めてとりあえず『好き』カウントの作品。 只、相変わらず木村先生のやり方がドギツいのもあり、彼の作品が駄目な人が観劇しても「素晴らしい!」という意見が出ない事は分かります。 「キムシンの主張がうるさ過ぎて嫌」「ガイチさん最後なのにあの役アリ?」「花總さんのシーツ1枚は引いた」「処刑が可哀想過ぎてダメ」等々の意見は最もだと思います。 キムシン関係なしにしても。 だがしかし、私が理解出来ないのは「キリスト教を批判するな」系の意見。 確かにあの作品では、『キリスト教徒』が『自由な思想を持つジプシー』を迫害し、狂信的に自己の宗教を正当化して殺害する。 物語の上で『悪』の位置に居るのが『キリスト教徒』と言う『記号』――設定。 そして、彼らに殺される時のパリア@大和氏の遺言は「宗教で人を差別するな」。 他に、宗教的なものに対して批判せず「俺たちは嫌いじゃない、ジーザスが嫌いじゃない、イエス・キリストは尊敬している」と歌いながら、彼らは殺されて行く訳ですが。 さて此処迄の何処でキリスト教を批判しているのでしょう。 原作となったオペラ『イル・トロヴァトーレ』でも、ジプシー(マンリーコ)はキリスト教徒(ルーナ伯爵)によって殺される。 『炎にくちづけを』では、キムシンテイストでより『処刑』と言う行為が過激で残酷な描写にはなっているけれど、まぁ同じ事。 「宗教で人を差別するな」とは言った、確かに。 けれど、キリストの教えを持ち出して、其処を否定は決してしていない訳で。 確かに創作の上で『キリスト教』って言うのは物凄い取り扱い注意な『アイテム』なので、こういう形で持ち出すのはどうかと思うけれども。(今回のように、そのアイテムの名前だけに過剰反応し「宗教批判だ!」と騒ぎ立てる人が居るからね、信者でも非信者でも) 例えば原作がなければ、同時にあるいは『キリスト教徒が宗教的な面を理由に異教徒を迫害した』という史実が皆無であれば、『悪』は他の実在宗教でもオリジナルの団体でも良かった訳だ。 只、其処は原作がそうなってるので、原作通りになっただけで。 例えばドラマの話。 何処かで似たような例え話があるかもしれないけれども。 高校教諭が女子生徒を惨殺した、と言う話があったとしましょう。 視聴者は、脚本家が「高校教諭=悪」と言う主張がしたくて話を書いたと思いますか? それはフィクションであり、その話の中でだけの設定。 話を戻して。 木村先生は『物語上の悪』の位置に抽象的であり信者には絶対的な『実在の宗教』と言うアイテムを使用してしまったが為に、見当違いの批判を浴びてしまう事になる。 …でもこれは彼の彼たる所以と言う事ですが。(私も『スサノオ』には引いたクチなので) 『キリスト教』と言うものが、『炎にくちづけを』では『悪』のアイテムとして使われている、それだけ。 それが創作上であると言う事が分かっていれば、『マリア様がみてる』や現在花組公演『落陽のパレルモ』での『キリスト教』の扱いと、内容は違えど同じ意味、だと思うんだけど。 ロマンチックに良い意味で使われるなら多少の歪曲にも目を瞑り、本質的なものにはまるで触れず名前だけを借り悪の位置にあると騒ぎ立てるのは、ちょっとどうかと。 で、しかもその人がキリスト教徒じゃなかったりするの笑いすら出てくる(笑) ちょっと危険でしたか。 でも言いたかったんだもん。(相当何かあったらしい)
by hattori06
| 2005-11-21 13:41
| 宝塚
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